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フリーランスママ+ライター+Webデザイナーとして進化中。遠回りしてもなりたい職業に。

フリーランスママへインタビュー。ライター+Webデザイナーとして進化中。遠回りしてもなりたい職業に。

福本智子
フクモト学長

こんにちは、フクモト学長です。
本日は子育てをしながらフリーランスのライター・Webデザイナーとしても進化中の、かわた まいさんインタビューさせていただきました。
フリーランスになったきっかけ、Web業界の働き方、仕事へのこだわり、子育て・家事をかけ持つママならではの葛藤、今後の想いを伺いました。

ライターとWebデザイナー、どちらも大切な自己表現

かわた まい
かわた まい

「はじめまして、ライター&Webデザイナーのかわた まいと申します」。
と、笑顔で名乗れるようになったのは最近の話です。

Webデザイン歴7年、ライティングの仕事となると10年目になります。

歩んできた道のりを振り返ると、それなりにやってきたように映るかもしれませんが、今もまだ進化の最中で学ぶべきことが山積みです。

約3年前、子供の保育園事情によりフリーランスに転身したばかり。

フリーといっても働き方は様々で、私は制作会社や編集部の外部スタッフとして仕事を掛け持ちしているため半分会社勤めの頃と変わらない感覚です。

文章を書くこととWebデザイン、異なる業務ですが私にとって共通していることは 「 伝えたい想い」をカタチにする職業だということ。

どちらでも意識していることは、美しく格好良いものを制作することも大切ですが、クライアント(取材先)の事業やサービスを知りたい、利用したいと思えるような記事やWebサイトを創り上げることを目指しています。

福本智子
フクモト学長

ライターの仕事は、取材からはじまるのですね。
どんな感じで文章を仕上げていくのですか?

かわた まい
かわた まい

まず、ライターとしてのこだわりは、「字数内でいかに読み手が想像を膨らませやすい文章に仕上げるか」
工夫は取材準備から執筆までの間のあちこちに散りばめています。

フリーランス ライター 執筆実績
取材から記事執筆まで担当

お店などの取材では、基本情報から何を販売しているのか、こだわり、店主に関してなどを雑談も交えて、なるべく自然体でお話してもらえるように心がけています。

案外、関係のない話からその人の持ち味が掴めたりしますので、質問せずとも話したくなるような雰囲気をつくることは一番気を使っているところです。

そして、必ず当日中に思いのままに文章を綴ります。
そして、翌日以降に字数内に収めながら手直しをしています。

熱が上がっているうちに、書き上げた原本に対して自分で校正チェックをかけるのですが、この時間が一番楽しいですね。

――― うーん。「熱が挙がっているうちに」これわかるわぁ。ここ逃すと記事の仕上がりが違ってきますよね。

短い読み物でも奥行きが出るように最後まで、「言葉あそび」を繰り返します。

例えば、同じ「おいしい」でも美味、滋味深い、コクがあるなど日本語は多様な表現が可能ですので、その人やお店に合うように使い分けるようにしています。

締めがバシッと決まった時は、思わず「よっしゃ!」と声が漏れてしまうこともあるほどに日本語とは難しいですね(笑)。

福本智子
フクモト学長

Webデザイナーとしては常駐型のフリーランスとのことですが、どんな感じでしょう?

かわた まい
かわた まい

こちらは、日進月歩な職業であるがゆえ、いつまでも自信を持てずにいました。
それが、ようやく最近になって気持ちも上向きになってきました。

現在は、制作会社に常駐していますので、民間から大規模な行政案件までを担当しています。

2年近くで新規とリニューアル合わせて30件は担当しました。

担当したWebサイトのデザインのファーストビュー部分
担当したWebサイトのデザインのファーストビュー部分
担当したWebサイトのデザインのファーストビュー部分
担当したWebサイトのデザインのファーストビュー部分


常駐先では、主にデザインを担当していますが、 自分の得意ではない分野を手がけることが多いことがスキルアップに繋がっているように思います。

工業、電気、建築…これまで馴染みの薄かった業界をどう見せるのか。

引き出しの少なさから、スランプや悔しい想いを体験できましたし、その反動で得意分野の案件が舞い込んできた時には、底知れぬパワーを発揮。

何でも引き受けてみるものですね(笑)。

――― うんうん、Webサイトの制作に関わると、これまで知らなかった業界にも詳しくなったりしますよね。

あとは、自分が作ったものを他の人が修正することで「こんな見せ方もいいな~」とか、逆に別デザイナーが担当したものを手直しすることで、身に付いたスキルも多くあります。

コーディングやCMSに関しては、ひと回り年下のエンジニアやアルバイトの学生さんから学ぶことも多く、この歳になって制作会社で働くことに挑戦して良かったと心底思います。

いつか、若い世代に寄り添って指導が出来る立場になれたらという夢があります。

――― たしかに、気がつくと周囲は年下ばかり(笑

そのためにも、納得いくまで経験を積もうと決めています。

人生に無駄な時間はない、遠回りしてもなりたい職業に

福本智子
フクモト学長

これまで、人生の転機となるような出来事や出会いとかありましたか?

かわた まい
かわた まい

私には、執筆の師匠がおり同時にWebの世界へと背中を押してくれたITエンジニアの存在は大きいです。

高校生の頃、「インターネットを閲覧しよう」という授業があり、その感動を胸に情報メディア学科を目指しました。

しかし、第一志望の大学は不合格。
人生はじめての挫折でしたが、進学した大学が情報教育に力を入れていたため、文学部でありながら情報コースを専攻できました。

しかし2000年代初頭は、まだ誰もがホームページと呼んでいた時代でサイトをデザインする概念などありません。

HTMLで簡単なページを制作し、FTPで転送したくらいでしたし、就職氷河期にまだ数少ないWeb制作会社を目指すことはしませんでした。

大学卒業後は、服飾雑貨メーカーに勤務、企画広報のプレス職に就いていた時のことです。

メディアに掲載用の文章やブログ、メールマガジンなども担当していました。

――― おぉ!この辺りから転機がやってくるんですね。

運良く、元新聞記者の社員がいて、その方の紹介である人に指導を仰ぐことになりました。

「先に読ませてもらったよ。いいものは持っているけれど、この先書きたいの?どうなのよ!」

と初対面で詰め寄られました(笑)。

それが、海外で記者や編集長を何十年も勤めてこられた当時70歳の師匠でした。

――― 70歳の師匠ー!?

叱咤激励を受けながら、とにかく書いては添削を繰り返しました。
途中、叱られすぎて向いてない、辞めたいと思ったこともあります。

最初に何度も言われたことは、

「難しい日本語で書けるのが有能な記者ではない。
読む人の心をつかみ、想像ができるものを書きなさい」。

口数の少ない少女時代に、先生や友人に伝えるという手段であった書くということ。

その時間は「どんな面白い表現をしようか」。ととても楽しいものでした。

その大好きだったことを仕事にできたら、どんなに幸せだろうか?と歯を食いしばって奮起したことを覚えています。

福本智子
フクモト学長

文章を書くことからWebやデザインに向ったのは?

かわた まい
かわた まい

当時、プレスとしては雑誌などの紙媒体をメインにアプローチをかけていましたが、スマホが浸透しはじめた2010年頃に社内で「ECに注力しよう」となったことがデザイン職に結びつきます。

掲載をWebへとシフトさせるに当たり、人員として作業するようになったのですが、まずは写真の加工から。

初めてPhotshopを立ち上げた時は、「何?この強そうなソフトは、使いこなせそうにない!」でした。

しかし、段々おもしろくなってきて、

HTMLでページを作ったりするようになり、担当エンジニアとセミナーに参加したり、運営などの話をするようになった頃に、

「かわたさん、こういう仕事が合ってるんじゃない?」とITエンジニアに言われた一言が大きな転機となりWebデザイナーの道へ。

――― なるほど。近くにいる人の客観的な意見は貴重ですね。

若かった私は、まんまと真に受けて…いえ、真剣に考えて29歳でメーカーを退職し、30歳でWebデザイナーを目指すべくデザイン事務所に学びに通うようになるのでした。

先に述べた2人との出逢いと、なにより広報という仕事に就いたからこそ「発信するためのツール」としてWebの未来の可能性を感じたことが今の私の出発点でした。

Webクリエイターズオンラインとのご縁と繋がり

かわた まい
かわた まい

そんな私ですが、出産後はWebデザイナーで復職するつもりはありませんでした。
産後は、想像以上の寝不足と思考停止で、細やかな仕事は無理だと考えていたからです。

2016年3月に出産後、1年半ほど全く制作をせずにブランク状態に。

産前までは、約4年間インハウスデザイナーとして社内のWeb、ECサイトの運営業務を担っていました。

産休直前にWordpressでの新規立ち上げ業務の機会があり、上司と取り組みましたが上辺だけの知識でなんとか乗り切り、モヤモヤとしたままでした。

そんな気持ちを抱えたままだったので、余計に自信が無くなっていたのは事実です。

もがきながら、ひとまずライターの仕事を請け負いフリーとして出発。

――― ここが、かわたさんのフリーランスの出発点だったんですね。

ゆるやかに業務をこなす日々は、なんだか身体半分が空っぽな気分。
目に留まる雑誌や流行のデジタルマガジンは、心をえぐるようで辛かったです。

「本当はデザイナーに再チャレンジしたい…」

足りない技術を勉強したいけれど、何が良いものかと検索していた時に出逢ったのがWebクリエイターズオンラインでした。

福本先生に質問を投げてみると、とても親切かつ明瞭な指導をして下さいました。

――― わぁ。かわたさんから始めていただいたメール、覚えてる(笑
確か、Illustratorのハートの描き方でパスの質問でしたね。

「ここだ!」と藁にもすがる想いで、気になる講座を受講。

最初はWordpressのことを学びたかったのですが、先生の講座はどれも受けてみたくなりました。

現在は、コミュニティなども立ち上がりクリエイター達の実りある交流の場にもなっています。

同じように悩みを持つ、努力家の女性に多く知り合えたこともありがたいです。

――― ありがとうございます。そんな風に言っていただけて嬉しいです。

福本智子
フクモト学長

最後に、今後の働き方について一言お願いします!

かわた まい
かわた まい

フリーランスという働き方は、まだ特別だというイメージが圧倒的。だけれども、社員、契約、派遣と同じ並びで、もっと気楽に選べるようになるといいなと思います。

逆に、私はフリーで活動していますが、子供が成長してチャンスがあれば会社員として勤めるのも魅力的だと考えています。

雇用形態が重要ではなく、各々が持つ能力を発揮できる世の中であって欲しいと願うばかりです。

最後に、デザインとライティングというのは、ひとつのスキルにすぎません。
私自身、「魅力や価値を発信する」という本来の目的を見つめ直しています。

「いくつになっても、何にでもなれる」 をモットーに、2020年は地域社会や未来を担う子供たちのために貢献したいという夢に向かってエンジンをふかしはじめたところです。

編集後記~子育て終了世代のフクモトから働くママへのメッセージ

子育てをしながら働くママは、どんな形態の働き方でも、とにかくとにかく忙しい。

自分のための時間は限られていて、焦りやイライラすることありますよね。
(私はいつも怒っていた記憶が(笑 「早くしなさい」ばかり言ってしまうママでした。)

そんな中でも、何とか時間をこじ開けて!自身の能力を磨くことに真剣な姿は、本当に私には眩しく映りますし、美しいなと思います。

そして、子育ての手が離れてからがパワーを発揮する時。

必ず積み重ねた分の結果は表れ、さらに未来が開いていく。

私もそんな、素敵な女性達に刺激をいただきつつ、「私にしかできないこと」を、恐れることなく実行していきたいと思います!

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現在の肩書きは違えど目指すところは皆「フリーランスのWebデザイナー(クリエイター)」

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